小説遊戯

 

時々、思う事がある。

例えば、放課後の誰も居ない教室で、一人窓の外を眺める時。誰も居ない教壇、誰も居ない机の群れを見渡す時。

 

その日、俺は文化祭でやるクラスの演劇の準備で珍しく帰りが遅くなっていた。

繰り返すが珍しく、だ。極めて稀な事に、と言ってもいい。何故なら俺は一応部活には入っていたものの、それは締め切りまでに原稿を

提出しさえすれば良し、という何ら拘束力の無いものだったからである。年に数回発行する部誌の製本日以外、特に活動という活動は

無し。個人個人で創作活動をするのがうちの部・文学部の基本スタンスだった。

そういう訳で部活の他に放課後残ってやる事がある訳でもなし、帰宅部同然の俺は六時限目のチャイムと同時に家路につくのが判例・

通説であった。掃除当番はどうした、と問われると非常に耳が痛いが、そういった空耳や幻聴の類は耳鼻科に通って解決する事にする。

話がずれた。要するに、俺にとって帰りが遅くなるというケースは阪神が優勝するのとほぼ同程度の確率でしか起こり得ない事態だったのだ。

だから、気付いてしまった。

放課後の教室の風景――普段あまりお目に掛かれないものの内に潜む何かに。

「どした○○ピー?」

七・八時限目、文化祭間近でなければ運動部が各々練習に励む時間も終わり、晩夏の夜の帳が下り始めた頃。演劇の準備云々を終えて

解散、教室を出た後、数名の友人と談笑しながら土足(・・)で歩く廊下での事。

突然立ち止まった俺に、友人の一人が訝しげに声を掛けてくる。余談だが○○に入るのは俺の氏名の一部であり、カキでも放送禁止用語

でもない。少々間の抜けたニックネームではあるが、殊更改めて欲しいとも思わなかった。

「あー、ちょっと忘れ物。すぐ追いつくから先行ってて」

「え、だったら付き合おうか?」

「いや、大丈夫。パッと行ってパッと帰ってくるだけだから」

友人の申し出を断り、俺は踵を返して駆け出した。手を差し伸べてもらえないと寂しがるくせに差し伸べられると鬱陶しがる難物。俺の性分

を知ってか知らずか、友人はあっさり引き下がった。

「そっか、じゃあまた後で」

背中に向けられた声に片手を上げて応え、廊下を駆ける。

この後彼等は下校時間外――我が校の全日制は定時制の登校時間とのブッキングを避けるため、五時〜六時は下校禁止となっている

――に校舎から抜け出そうとしていた所を見つかり、教諭諸氏にこっ酷く叱られる事になるのだがそれはまた別の話である。俺もこの時

忘れ物などと言って教室に戻っていなければ同じ目に遭っていただろう。何しろさっきまで彼等と一緒に土足で廊下を歩いていたのは

下校時間外の「密下校」を強行するためだったのだから。

大体、定時制との衝突を避けるために一時間も校内待機という方が不条理なのだ。見た感じ定時制の登校・全日制の下校によって

通行に支障が出る程その時間帯の登下校人数が多い訳でもないし、両者の接触でトラブルが起こるならそれはそれで別の問題だろう。

隔離は根本的な解決にはならない。こう思っている輩は少なくなく、その理念を行動に移して密下校を成功させた例も幾つかあると聞く。

まあ文学部と帰宅部を兼部していた俺には今回のような例外を除けば大して関係の無い事ではあったが。

また話がずれた。いずれにせよ、こうして俺は密下校の現行犯逮捕を免れ、一人無人の廊下を走っている訳である。

カッカッカッカッカッ……

夜の静寂(しじま)に吸い込まれる硬い靴音。

運動靴がリノリウムの床を叩く音は上履きのそれと違って酷く無機質だ。或いは靴ではなく周囲の環境がそうさせているのかも知れない。

今の廊下に休み時間の喧騒は無い。忙しく歩き回り、もしくは駆け回る人々の足音も無い。そもそも人どころか、動くものの姿が無い。つい

先程友人達と歩いてきたばかりの道なのに、まるで別世界。人が居ないだけで廊下はこれ程変質するものなのか――十分な蛍光灯の

明かりこそあれ、平時とは全く異質な様相を呈する学校の廊下に俺は違和感を覚えずにはいられなかった。言うなれば映画のセット、

舞台の書き割りを見ているかのような。

だが。

今思えば、この時から既に足を踏み込んでいたのである。友人と廊下を歩いていた時に感じた得体の知れない何かへと。一歩を踏み出し

たのは、正にこの時だった。

さっき立ち止まったのは忘れ物に気付いたからではない。気付いたのはもっと別のもの――何気なく、本当に何の気も無しに目をやった無

人の教室だ。人の姿も明かりも無い暗闇無人の教室から、俺は確かに何かを感じ取っていた。しかし、その時目に入ったのは一階にある

一年生の教室だった。それでは駄目だ。最も見慣れた教室――自分のクラスの教室でなければ、駄目なのだ。何が駄目なのか、どうして

駄目なのか自分でも分からないまま、俺は出て間も無いクラスの教室を目指していた。

何にでも根拠や理由を求めようとする傾向のある俺にしては珍しい行動である。放課後の居残りといい、この衝動的な行動といい、全く

以て今日はイレギュラーな要素が多過ぎた。そして多過ぎたからこそ、それは起きた。想定外の事態はいつだって単体では終わらず、

次々と連鎖的に発生するものだ。

――っと」

突き当たりで曲がり切れずに壁に激突しそうになるのを寸前で避け、靴の踵をリノリウムに擦り付けて反転。キュッという小気味よい音を

立ててスポルディングだかスペルディングだかのスニーカーはドリフトに成功した。

が、その中身の足の方はそう上手く行かなかったらしい。負荷に耐え切れなかった足首が悲鳴を上げて猛抗議してきた。陸上部、それ以前

に運動部でもない上、こと運動に関してはのび太並の身体能力を誇る人間が慣れない事をするとこうなる。

「いででで…」

鈍痛に情けない声を上げつつ、突き当たり左の階段を上る。

流石にもう走るのは止めた。二段飛ばしも三段飛ばしもせず、一段一段慎重に攻略していく。(関係無いがどうして小学生は急いでいない

時でも二段飛ばしで階段を駆け上るのだろう)。そう急がずとも教室は逃げたりしない。先に行っている友人連中には悪いが、今夜の密下

校作戦からは抜けさせて頂く事にしよう。誰だって自分の身は可愛いし。

明日友人達にどう言い訳するかを考えているうちに、気が付くと自クラスの教室に着いていた。まだ施錠されていない扉を開け、蛍光灯の

スイッチを入れる。

途端に現実へと引き戻される思考。

いや――ここは本当に現実の世界なのか?

そんな疑問を抱きかねない程、教室の中は異様だった。

まず、スイッチを入れた位置から全体を見回してみる。当然だが――当然過ぎて言うのもおこがましいが、誰も居ない。教壇も四十前後の

机も無人。

続いて教壇に立ってみる。同右。

ただそれだけの事なのに、言い様の無い違和感が全身を襲った。

それからしばらく机の群れの中を徘徊し、窓の外を見やった。普段なら向かいにそびえるプレハブ校舎を前に、来年はあそこで授業受ける

のかとか、自販機が近くていいなとか思うものだが、感じるのはやはり不可思議な違和感のみ。離陸中の飛行機の窓から外を見ているか

の如き気分だった。

先の廊下で感じた「セットや書き割りを見ている感覚」とも違う。セットや書き割りはどう足掻いた所で本物を模した偽物、現実のものではない。

だが今目に映る教室の風景は、現実であるかはともかく本物としての風格のようなものが感じられた。

何かを模した贋作ではない、最初からそれとして存在する本物。

すなわち夜の無人の教室は昼間の教室の延長線上に位置するのではなく、夜の無人の教室そのものとして独立してそこに在る、という事だ。

言い換えればそれは異世界だった。

自分が認識しているのとは根本的に異なる世界。自己を形成する殻の外にある、未知なる領域たる世界。世界の創造主は神だというが、

形而上学的にはそれは誤りだ。そもそも人々の共通認識であるところの唯一無二の世界など存在しない。世界は一つではなく、人の数だけ

ある。あらゆる人間がそれぞれ自分の世界を持っており、それらが相互に交わり合う事であたかも一つの世界を形作っているに過ぎないの

である。とはいえそれら一人一人の世界は互いに交わる事はあっても認識を共有する事は無い。当たり前だ。言葉という媒介物を通してあ

る程度までは共有出来るが、それとて完全ではない。違う人間である以上、現在の科学では認識を完全に共有する事は不可能であるし、在り得ない。

在り得ない――筈だった。

にも拘らず、俺は気付いてしまった。他者との共有ではないにせよ――自分が認識した事のない世界、自分の外に在る世界の存在を。

 

 

さて、ところで俺は前述のように文学部に所属している。活動がほとんど皆無なので帰宅部と兼部しているも同然と書いたがその通りだ。

これも前述したが、文学部は個人の創作活動がメインであり、俺の場合その場所は家、つまり自宅だった。中には活動も無いのに放課後

部室を溜まり場にしている部もあったが――特に運動部の部室はえてしてそういうもののようだ――あいにくうちの部には溜まり場にすべ

き部室が無かった。夏休みなどは特別教室を借りて部員を集め、皆で一緒に執筆する機会も何度か設けられたものの、基本的には自宅

での活動が主だった。多分他の部員も似たようなものだろう。

俺はその日もいつものように机に向かい、いつものようにシャープペンを手に取っていた。

そう、シャープペン――俺の執筆方法は部員の間では少数派の手書きだ。それを後でワープロソフトに打ち込むという二度手間が生じる

反面、二回見直しが出来るという利点がある。アナログ派を気取るつもりは無いが、ワープロで直接執筆するとなるとどうしてもイメージが

浮かんでこないのだ。何より、いかにも小説を書いているといった風な伝統的なこの方法が一番好きだった。問題といえば文字が雑過ぎ

て時々自分でも読めない事位である。

あの後――無人の教室で六時まで過ごした後、下校可能時間になって俺は家路についた。相当に呆けたような間抜け面をしていたらしく、

バスを待っている間に隣のご老体に心配されたが、それ以外は何事も無かった。いつもと変わらない、いつもの世界。

家に着いて、夕食を済ませて、テレビを見ながら家族と他愛の無い会話をして風呂に入って…

だがそれもこうして机に向かって大学ノートを広げ、シャープペンを握った瞬間に終わりを告げる。

ここから先は、別の世界。俺が想像し、俺が構築する、俺の物語世界だ。精神が「執筆モード」に入る、とでも言おうか。この時の俺の

目はノートに綴られる汚い字を見ているようでその実、殺し屋の頭上の日輪を見ている。この時の俺の耳はペンが紙の上を走る音を聞い

ているようでその実、けたたましい銃声を聞いている。

つまりはそういう事だ。俺にとって執筆という行為は世界の創造=創作であると同時に、その世界へのトリップを意味する。

――その日の夕方、誰も居ない教室に一人で居た時と同じように。

それがどういう事なのかは分からない。しかし、これを境に俺の中にわだかまりにも似た疑問が生まれたのは否定しようのない事実だった。

 

 

時は流れて幾年。

結局俺は二十歳になっても小説を書き続けている。流石に語彙なども増えて文章力は向上した気がしないでもないが、作風そのものは

変わっていないように思える。

だが、一つだけ変わった事があった。それは執筆行為――世界を創造する事の目的だ。最初は諸々の創作物に影響を受け、自分も

小説を書いてみたい、世界を創ってみたいと純粋に願っただけだった。そうしてそれを実行してみて、世界の創造や異世界の体感に

この上無い面白味を見出したのだった。

それが今はどうだろう。

今、小説を書いているのは世界を創りたいからでも世界を感じたいからでもなく、ただ単に確認したいがための――仮想世界を創造する

事によって現実世界が確かに存在している事を確認したいがための行為ではないのか。そう思えてならない。そしてその事を思う度、過

ぎし日の疑問が走馬灯の如く蘇ってくるのだ。すなわち――

時々、思う事がある。

例えば、放課後の誰も居ない教室で、一人窓の外を眺める時。誰も居ない教壇、誰も居ない机の群れを見渡す時。

俺は、問わずにはいられない。

 

なあ…良かったら、誰か教えてくれないか。

 

 

――一体全体、どっちが本当の世界なんだ?

 

 

(了)

 

 

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