少女三部作・外伝
カルテットW 事由自在
物理法則は残酷だ。
時としてそれは呆れる位に非情で、冷酷で。小賢しい人間の思惑など毛程も意に介さず、機械的にシステマティックに己の責務を全うする。そこに意思の入り込む隙間は無い。覆水盆に返らず、It's no use crying over
spilt milk。人がどんなに願おうと、願うだけでは落とした単位は返ってこない。どんなに巧妙な戦略を立てても、サッカー日本代表がワールドカップで優勝する事は出来ない。覆水を盆に返すためには、山吹色の菓子であったり、根本的な戦力改善であったりと、実際に行動して物理法則に干渉する努力が必要となる。
とどのつまり。
「すとらーいくっ」
東欧あたりの伯爵が喜びそうな曇天の空の下。
ただ立っているだけで歯がガチガチと音を立てる寒気の直中。
金属バットを握り白球を見据える僕とて、物理法則からは逃れられない訳で。
「すとらーいくつーっ」
飛来する球よりバットを振るのが遅ければ当たらない。
ないしは、当てようとしても球が変化球だったり、僕の動体視力がついていけなかったり。その他諸々の要素が混ざり合って、僕のバットは盛大に空を切る。運動神経はともかく、反射神経には自信があったのだが…所詮、中学時代に体育でソフトボールを齧った程度じゃこんなもんか。
「ちゃっちゃ〜ちゃららら〜♪ちゃっちゃ〜ちゃららら〜♪」
もちろん、ここは甲子園じゃないからコンバットマーチなんて気の利いたものは流れていない。BGMといえばユニホーム越しに肌を刺す北風と、もはや応援だか野次だか分からないギャラリーの口三味線くらいのものだ。
「ぼーるっ」
加えて、審判でもないのに一球毎に鼓膜を揺らす舌足らずなカウントコール。
これは確実に野次だろう。それも味方からの。
ネクストバッターサークルで素振りをしている声の主にジト眼を向ける。だが相手はそ知らぬ顔で見返してきた。ばかりか、「かっとばせー、一兄!」などとエールまで送ってくる。言われなくてもその口が閉じ次第、月まで吹っ飛ばしてやんよ。球じゃなくてお前をな。
しかし当面の敵は奴じゃない。てめえのヘロヘロボールなんざ、月どころか火星のケツまで打ち返してやるぜ、とピッチャーに言えないのが情けなかった。とほほ。
「さて、と。小便は済ませたか?ブッダに御祈りは?バッターボックスの隅でガタガタ震えて命乞いする準備はOK?」
僕の代わりに、という訳でもあるまいが――挑発的な物言いで告げる相手ピッチャー。
自信に満ちた両の瞳は常に攻撃的。歪められた口の端も極めて好戦的だ。それに応じ、顔に薄笑いを貼り付けて僕はブラフをかます。
「あいにくだが、僕ん家は自力本願だ」
「そうかい。だったら禅でも組むんだ、ね!」
同時に。
揶揄に合わせて放られた白球は不可視の速度でキャッチャーミットを目指し――
僕のバットは、容赦もへったくれも無く全力で虚空を切り裂いた。
「すとらいっばったーあうと!」
…はて、何でこんな事になったんだっけ?