殉情少女
『二年D組のシスコン兄貴君。妹さんの身柄は我が文芸部が拘束した。返して欲しくば直ちに部室に来たまえ』
私立大和高校、放課後。
かような校内放送が鼓膜を震わせたのは、教師が終業を告げて教室を出、生徒各々が正に席を立たんとしている矢先であった。否、震わせたなんてもんじゃない。鼓膜をぶん殴ったと言った方が正確だろう。それ程に放送の音量ないし声量は規格外だった。かといって耳障りな騒音かというとそうではなく、透き通る様な真っ直ぐな気持ち良さがある。アルトテノールといった所か、中性的で非常によく通る声音だ。とはいえ鼓膜を破かんばかりの大音声である事に変わりはないし、何より放送の内容が異常過ぎる。
…二年D組ってうちだよな?
「…?」
放送によって起こったキィーン、という耳鳴りが徐々に収束。聴覚回復後、視線を感じて顔を上げると、クラスの過半数が僕に目を向けているのが見えた。いずれも耳を押さえながら、ある者は呆れ、ある者は戸惑いの表情で僕という一点に視線を注いでいる。女子高に一人紛れ込んだ男子高生か僕は。そこの君、耳鳴りの原因を僕に求めるようなジト目はご遠慮頂きたい。
「お呼びだぜ、シスコン兄貴」
比較的話す事の多い男子生徒、城戸祐次が皆の視線を代表する様に言った。心底楽しそうに、新しいおもちゃを見つけて喜ぶ子供の様な笑みを浮かべて。くそったれ、他人の不幸は蜜の味という奴か。まだ不幸と決まった訳ではないけれど、こんなヒーローごっこで飛び出しそうな台詞を全校放送で流す様な人間の所に行って幸運が待っているとはとても思えない。実際僕には妹が居て、割と彼女の話をする事が多い。そのため自他共に認めるシスコンというのが友人一般での認識だ。しかしこの放送は明らかに頭のネジが二、三本は抜けている。大体、クラス内ならシスコン兄貴と言えば半数位は僕個人を特定出来るかも知れないが、放送を流した人間は何故そのローカルルールを知っていたのか。帰宅部の僕にはクラスメート以外知り合いは居ない筈だが…
「…俺?」
「お前以外居ないだろ。行って来いよ、面白そーだし」
未だ状況が掴めず自分を指差して確認する僕に苦笑し、城戸は窓越しにある方向を顎で示す。その先には確か、今放送で来いと言っていた文芸部の部室がある筈だ。
文芸部部室。
…もしや。
「作家先生にお目にかかれるチャンスだしな。あいつ直々に呼んでくれたんだからむしろ光栄と言うべきじゃねーか?」
「作家先生…なるほど、ね」
ようやく得心が行った。作家先生。生徒達の間でそう呼ばれる人間が今の電波放送を流したのであろう事は文芸部という単語から容易に連想し得た――筈なのだが、余程慌てていたらしい。気付いたのは城戸に言われてからだった。そりゃあ誰だって全校放送でシスコン呼ばわりされれば慌てもするだろう。個人名が出ていないとしても、色々と。
それはさておき、問題は作家先生だ。先生先生と呼ばれているが本名は南優希。文芸部所属。代議士先生でも弁護士先生でもなく、直木賞受賞の女子高生作家である。若くして大変な名誉を得た功績のため先生からの信頼も厚く、将来有望な少女なのだが…その一方で、彼女が今の放送を流したと言えば誰もが「ああ、なるほどあいつなら」と納得してしまう程の変人とも噂されていた。曰く、執筆に当たって異性の気持ちを理解するため、男装の麗人を目指して常時学ランを着用しているとか。学校では見かけた事すら無いが、なるほど確かに南優希が普通に人を呼び出すとは考え難い。放送部をジャックする位はやるかも知れない。
放送直後の僕への視線集中砲火は既に中止され、クラスの連中は大半が何事も無かったかの如く思い思いの行動に移っている。帰宅する者、部活の準備を初める者、友人と駄弁る者。未だ興味深そうにこちらの動向を窺っているのは一部の友人だけだ。
「言われてみれば先生直々に、だもんな。行くっきゃないか」
「おう、頑張れよ」
その喧騒の中、僕は城戸に別れを告げて教室を出た。
向かうは東棟四階、文芸部部室。南優希が部室に人を呼ぶにしても何故僕なんだ?という疑問はまだ胸の奥にしこりを残していたが、僕に選択の余地は無い。たとえ性質の悪い冗談だと分かっていても、妹が拘束されてるなどと言われれば無視出来ない。それが僕という人間だ。恐らくはそれさえも予測してあんな放送を流したのだろう。
部室――といっても空き部屋を南が勝手に改造して書斎にしているだけの非公式なものだが――に着いてドアをノックすると、先と同じアルトテノールの美声が返してきた。
「入りたまえ」
ガラリ。
予想通り妹は居なかった。長机の上にパソコンと大量の原稿用紙が置かれている以外何も無い殺風景な部屋。西日が差し込む部室兼書斎で、南優希は紙とペンを手に佇んでいた。学ランに眼鏡にショートボブの茶髪、と一見ブラウン管の中で授賞式に臨んでいた彼女からは想像し難い容姿だが、間違い無い。この天上天下唯我独尊を内に秘めた瞳は紛れも無く直木賞受賞作家・南優希だ。
僕が来たのを見て南はにっこりと微笑む。声と同じく透き通ったアルカイックスマイルで。
「やあ、よく来てくれたね。それでは始めようか――
君の、君による、僕のための物語を」
そうして、僕の世界は再構築された。