竜の涙

 

それは最初、ほんの小さな綻びでしかなかった。

例えるならそう、絹糸を複雑に組み合わせて作られた織物の、ただ一点の糸の綻び。

だが、たとえとるに足らない些末な欠損であろうと、全体の崩壊を招く要因に化ける事もある。

解けた縫い目から糸が引っ張られ、織物の構成要素としての糸が失われていくうちに―――織物そのものが、ただの糸に戻ってしまう事も。

誰が、或いは何が糸を引っ張ったのか。

知る者は居ない。知る必要もない。そんな事はこの事態に収拾がついた後、学者達がのんびり机上で考えれば済む事だ。

だが―――果たして収拾はつくのか?

三次元表示領域を見据えながら、バンウ・ナ少尉は焦燥にも似た苛立ちを覚えた。

手の甲の端末から呼び出した複数の表示領域の中では、それぞれ怒号と悲鳴、轟音と閃光が交錯している。

「第二十六区画から第五十一区画まで全て閉鎖、当該区画に残っている者は速やかに・・・」

「M3の救援はまだか!?このままではここも―――

「荷電粒子砲斉射四連!」

「<狂竜>が第六十七区画に侵入、至急退避を・・・うわああああああ―――

表示領域の一つに、巨大な影が現れる。

鋼と皮。鋭角的な線を描く翼。一言で表するなら、神話上の怪物―――ドラゴンであろう。

<竜機神>の集団暴走。

最初は、<竜機神>のうち一機が人工知能の自己改良機能に異常をきたしたというだけだった。現場のスタッフは単なる機械の故障として事に

当たった。

しかし。

綻びから糸は引っ張られ、止まる事はなかった。

「異常」は高密度通信システムで繋がっていた<竜機神>達に瞬く間に伝わった。最初に異常をきたした一機は自己改良に失敗したために複雑な

論理的矛盾を抱えており、それが他の<竜機神>に伝染したのである。

その結果、人類最後の切り札となる筈だった兵器は、皮肉にも人類に向かって初めてその力せ発揮した。中には自爆した機体までいるという。

―――ここもそろそろ危ないか)

いや。

バンウはかぶりを振って己の浅はかな思考を否定する。

M4<竜機神>の最大の特徴は形相干渉能力を攻撃に直接使用出来る点にある。対象を「破壊された状態」に変えるその力に抗し得るのは同じ

形相干渉能力のみ。隔壁やビーム障壁など問題にならない。大して広くもないこの要塞の中では、どこに居ようと大差ないだろう。

しかも脱出するための通路は寸断され、外部・内部共に通信網もズタズタ。連絡を取る事も叶わない。

「くそったれ!」

思わず感情が口をついて出る。バンウは拳を思い切り壁に叩きつけた。

よりによって<竜機神>に殺されるとは―――がさつで荒っぽいバンウだが、最近はようやく<竜機神>の仮想人格ともまともに口を利く程度にはな

っていた。その矢先にこれだ。

せめて殺されるなら、あいつが良かったんだが・・・無慈悲な神は、そんなささやかな我が侭を許してくれるだろうか。

―――!」

轟音がバンウの耳朶を叩いたのは次の瞬間であった。

壁に蜘蛛の巣の如く亀裂が走り、何かが顔をのぞかせる。分厚い隔壁を紙の様に容易く破って現れたのは―――

・・・るうおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ・・・!

人類最強の兵器―――今となっては人類最大の脅威が吠える。

だが、現れた<竜機神>は一機ではなかった。

咆哮を放った一機ともつれ合う様にして壁を突き破ってきたもう一機。

その一機は、明らかに同じ<竜機神>に対して敵意を抱いていた。

(兵装選択―――ランス)

巨大な槍を構え、<竜機神>に対峙する<竜機神>。その姿は、背後に居るバンウを守ろうとしている様に見える。

―――バンウ!?」

この声・・・間違いない。あいつだ。

「グロリア・・・」

シリアル155<グロリア>。

兄のベクナムと交わりの深いシリアル200<ゼフィリス>と仲が良かったため、バンウも何度か言葉を交わした事がある。

―――どうやら神サマとやらも捨てたもんじゃないらしい。こういう時日本では地獄に仏とか言うんだったっけか。

しかし、何故彼女はバンウを守ろうとするのだろう。

「お前、何で・・・」

「私は狂わずに済んだから・・・」

「・・・!?」

獰猛さ漂うバンウの顔が驚愕に染まる。

グロリアは、他の<竜機神>達が感染した「異常」に心を侵されなかったというのか。では、何故―――

「バンウやフタバが、私に色んな事を教えてくれたから・・・」

バンウの疑問に答えるかの様にグロリアは続ける。その口調にいつもの気楽な調子は微塵も無かった。

「兵器である筈の私を人間として扱ってくれた・・・名前をつけくれて、人間の身体も作ってくれた。くだらない人間ごっこでも、偽りの幸せでもいい。

私、とっても嬉しかったよ・・・」

だから。

守る。大切な人を。どんな手段を用いてでも、この人を守る―――

るうおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ・・・!

ありったけの形相干渉能力を叩きつけるグロリア。

だが暴走した<竜機神>はそれを避けようともしない。人工知能に異常があるのだから当然だ。彼は今、自分が何をしているのかさえ認識出来て

いないに違いない。

形相干渉能力をまともにくらって<竜機神>がのけぞる。ここぞとばかりグロリアは槍を繰り出した。

これで決まった。あとは身体に直接形相干渉能力を注ぎ込めば、敵は素粒子まで分解される。

グロリアは容量限まで形相干渉能力を叩き込み、そして―――

―――助けて、助ケテ、タスケテ、たすけて、tasuk・・・

「・・・!?」

その直前、<竜機神>から迸る「声」の様なものを、グロリアは聞いた様な気がしていた。

 

結局。

この事件は後に<狂竜事件>と呼ばれ、人類社会に大きな爪跡を残した。グロリアを含む25体の<竜機神>が「発狂」を免れて「狂竜」を殲滅したものの―――

彼女らまで「発狂」していた場合、<HI>の襲来を待たずして人類は滅びの道を辿っただろうと言われている。

尚、200体のうち最後の一機、ゼフィリスも「発狂」を免れたうちの一体であったが、ロールアウト直前であったため「狂竜」殲滅には参加していない。

むしろ無事に保護されたのは奇跡という他はない。

だが―――

 

「・・・っ・・・」

廃墟と化した自由軌道要塞<ヴァンガード>の一区画で、バンウは一人立ち尽くしていた。

否、一人というには語弊があるだろう。

バンウの腕の中には、彼の短躯より更に小柄な少女が居た。彼の胸に顔を埋めて震えていた。

蒼く長い髪を後ろで一つに束ねたその姿は、グロリアは対人インターフェイスである。

「あの子、辛かったんだ・・・悲しかったんだ・・・助けて、助けて、って言ってた・・・なのに、私―――

バンウは一瞬、グロリアが誰の事を言っているのか分からなかった。

だがすぐに理解する。「発狂」したあの<竜機神>は、最後に残った理性でグロリアに助けを求めていたのだ。

自分の心が壊れていくという自覚。それを伴って死んでいくのはどんなに辛い事か、バンウには想像もつかない。

まして、それを看取ってとどめを刺したグロリアがどんな想いを抱いたか。

「なのに私、殺しちゃったよ・・・何にも出来なかった・・・私はあの子に、何にもしてあげられなかったんだ・・・」

込み上げる衝動を必死に堪えるように、掠れた声を絞り出すグロリア。

「・・・」

戸惑いがちにグロリアの頭を撫でながら、バンウは掛けるべき言葉を探す。

「グロリア、俺は・・・」

今程自分の不器用さを呪った事はない、と思う。兄のベクナムなら気の利いた言葉の一つでも掛けてやれるだろうが、自分には難しい。

あの<竜機神>にはあれしか道はなかった、楽に死なせてやるのがせめてもの手向けだった、とでも言えばいいのだろうか。

本当にそれでいいのか。自分は―――

「ごめんね、こんな事で気弱になるなんて・・・。私は人類最強の兵器なんだから、人間を守る使命があるのに・・・」

「違う!」

腕の中で肩を震わせるグロリアに、バンウは今度こそ決然と言い放った。

「今お前は、人類最強の兵器なんかじゃねえよ」

無理に言葉で飾る必要はない。バンウは無意識に自分の素直な気持ちを言葉にしていた。

「どこにでもいる、ただの小さな女の子だ。だから、そんなに無理しなくていい。俺はさっきお前に守ってもらったからな。今度は、俺がお前を守る番だろ」

「・・・」

目を見開いて顔を上げるグロリアに、バンウはやや照れ臭そうに告げる。

「俺にはお前みたいな力はないけどよ、こうして傍に居る事位は出来る。人類も使命も関係ない。

我慢しないで、泣きたい時は・・・めいいっぱい泣いていいんだ」

「・・・うん」

途端、堰を切った様にグロリアの頬を透明な雫が伝う。

とめどなく落ちる涙に、バンウの胸元が濡れていく。

それさえもが、偽り。人が作った機能でしかない。

しかしそんな事はどうでも良かった。

フタバは言った。「この子達には兵器ではなく戦友になって欲しい」と。今なら不思議とその意味が分かる。

まるで、親に抱かれて号泣する娘の様に。

恋人の胸ですすり泣く少女の様に。

グロリアは、いつまでもいつまでも哭いていた。

 

その後。

残った26体の<竜機神>がインプルーブド・ドラグーンとして起動するに当たり、グロリアはバンウを自らの<竜騎士>に選んだ。

そして彼女は「恋愛」という感情を抱いた<竜機神>の最初の一機となる。その想いが遥か五千年の時を経ても尚生き続け、未来の子らに伝えられる事

になろうとは―――今の二人には知る由もなかった。

 

Fin

 

 

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