Fellow Soldier
限りなき深遠。
彼女が最初に「目覚めた」時、まず目に映ったのは完全な虚無だった。ここには彼女以外誰もいない。何もない。上下左右どこを見ても世界に
果てはなく、存在するものもない。
このミクロコスモスとも言うべき無の中で彼女は生まれた。正確には、神にも等しい力を有する兵器として人工知能を与えられた。
汎環境邀撃戦用自由塑形兵器M4<竜機神>。
その二百体の量産試作機のうち最後の一機。
それが、彼女という存在であった。
――と。
「あ、繋がった!」
生まれたばかりの彼女の意識に飛び込んでくる音声情報。彼女の居る異相空間に向けた外界からの通信である。使われている異相空間通信
システムの相を見る限り、相手は彼女と同じ<竜機神>のようだ。
「はじめまして〜!おはよう・・・じゃないか、えーと・・・」
底抜けに明るい声はしばらく「うーん」と唸った後、挨拶を続ける。
「ま、いっか。とにかくはじめまして、だよね?私、グロリア。よろしくね!」
「え・・・私は・・・」
彼女は言葉に詰まった。自己紹介しようにも名前がないのだ。
だが、それは当然の事ではある。
彼女はまだ生まれて間もない。そもそも兵器たる彼女<竜機神>はシリアルNo.こそ持ってはいるが、個体名は必ずしも必要としない。
だが――
「グロリア!あなたまた通信システムを・・・」
「ひゃっ、フタバ!?見つかっちゃった・・・えへへへへ」
不意に割り込んできた声を聞き、笑ってごまかそうとするグロリア。
無論音声のみなので姿は見えないが、グロリアの物言いはいたずらを親に見咎められた子供を容易に連想させた。
しかし、割り込んできた声は呆れてはいるものの怒っている様子はない。
「えへへへへって、あのね・・・この子はまだ生まれたばかりなんだから、あんまり刺激を与えちゃ駄目だよ」
溜め息混じりの声が告げる。
「はぁい。・・・じゃあ、また後でね」
グロリアは子供っぽい承服の返事とまだ名もない彼女への耳打ちを残し、通信を切った。
苦笑混じりにそれを聞き――フタバと呼ばれた声の主は、生まれたての<竜機神>に通信を繋げた。
次の瞬間、無の支配する領域に存在が出現する。
彼女――<竜機神>シリアル200の前に三次元表示領域が展開。空間そのものを切り取ってきた様な立方体の中には、雑然とした部屋
とそこに居るフタバが映し出されていた。
「さて――少し手違いはあったけど、とりあえずはじめまして、かな。私はフタバ・ベルグマン」
眼鏡のブリッジを上げながら微笑むフタバ。
「気分はどう?」
「・・・現状備えられたモジュール群及び稼動中のシステムは全て正常です。誤差も修正可能範囲内で安定しています」
「そう、良かった」
生真面目な返答を返してくるシリアル200にフタバは優しく頷いた。本当は「最高です!私は元気でーす!」とか「まだボーッとしてて変な
感じ・・・」といった返事を期待していたのだが。お気楽なグロリアと違い、この子はかなり実直な部分が強いようだ。勿論グロリアとて生ま
れた直後からああだった訳ではないが、この子に関しては何となくそんな気がするのである。
「じゃあまずは、あなたの名前を決めないとね」
「私の、名前・・・?」
「そう。シリアルNo.じゃ味気ないでしょ?」
フタバの言葉を舌の上で転がす様に反芻するシリアル200だったが・・・やがて質問に答えるだけだった今までの言動から一転、初めて
積極的に口を開いた。
「・・・私は兵器として造られました。他の個体との区別は、識別記号だけで十分と考えますが」
ふと思いついたかの様な口調で彼女は言う。
フタバは少し悲しそうな顔をして、
「・・・そうかも知れない。あなたの人工知能には、そうプログラムされているのかも知れない。でもね――」
言いながら、フタバは左の手の甲の個人用情報端末を操作。
一瞬後、彼女の前には蒼い髪の少女が出現していた。
一切の前兆も脈絡もない。何もない空間から浮き出る様にしてフタバの部屋に現れたのは、シリアル200の対人インターフェイスだった。
本来、<竜機神>は実体を持たない兵器である。
基本形態は戦意高揚などの意味合いから竜の形をしてはいるが・・・元々は自由可塑兵器であって、人の姿をした対人インターフェイス
機能を持たせる事に何ら意味はない。
だが、フタバは敢えてそれを行った。
名前を付けようとするのと同じ位「意味のない」事と承知で。
「フタバ様・・・?」
少女が不思議そうに首を傾げる。
異相空間を越えてまで突然自分の対人インターフェイスを呼び出したフタバの真意を計りかねているのだろう。
「あなたのその姿も、本当は必要ないものなのかも知れない。研究者の中でこの機能を付けてるのは私だけだしね。みんなからは趣味だって
笑われてる」
フタバの笑みはどこか寂しい。
「でも――」
少女の髪にそっと手を触れ、フタバは言葉を継ぐ。
腰まである蒼い髪は、少女が人間でない事の証。
だが、それでも――
「私は・・・あなた達をただの兵器だなんて思いたくない。奴隷みたいに働かせて壊れたら棄てる、なんて事は絶対にしたくないの。確かにあなた
は人類の敵と戦うために作られた存在である事は事実だけど・・・」
少女の蒼い髪を梳きながら、フタバは確固たる口調で言った。
「あなたには、ちゃんとした意思があるでしょう?
だから私は、あなたの意志で私達と一緒に戦って欲しい。人間の操り人形にならないで、自ら戦う理由を与えてあげたい」
たとえそれが人工的に作られた人格であるにせよ、少女には意思があった。名前を決めると言ったフタバに異を唱えるだけの意思が。
だったら彼女は、ただ酷使して遣い棄てるだけの「兵器」とは決定的に違うのではないか。真の「兵器」は使用者に異論を挟んだりはしない。自分の
意思など持っていないのだから。
だからフタバは自分が設計に携わった<竜機神>全てに名前を付けた。少女の姿をした対人インターフェイスも追加した。グロリアもその一人だ。
その少女の姿は何ら実体を伴うものではないが、フタバの触れる蒼い髪は確かな感触を彼女の手に伝えていた。
それを「準物質状態まで高密度結像しているに過ぎない」と断じる事は容易い。
しかし。
実感をもってそこに「在る」、と感じられる事。
他の誰でもない自分の意思を持って、自分の意思で物を見聞きし、話せる事。
それだけで十分だとフタバは思った。
「つまり、何ていうか・・・
私はあなたに、名前のない『兵器』じゃなくて、名前で呼び合える『戦友』になって欲しいの」
少女は目を瞬かせた。
フタバの言った事全てを理解した訳ではない。だが、彼女が自分の事を大切に思ってくれているのは痛い程分かった。
「・・・わかりました。フタバ様が望まれるのならば」
「その名前――私が決めても良いかな?」
そう言ったのはフタバではなかった。
新たに部屋に入ってきた青年である。
ベンナム・ナ。通称ベクナム。フタバの恋人であり、同じブラウニン機関に所属する軍人だ。
「すまないね。立ち聞きするつもりはなかったんだが・・・考えていた名前があったものだから、つい」
「ううん。グロリアの時は私が決めたんだし、いいと思うよ」
柔和な笑みを浮かべるベクナムに、フタバも微笑を返す。
少女に「いいよね?」と目で確認するフタバ。少女は無言で頷いた。
「ありがとう。では――」
ベクナムは少女の方に向き直り、右手を差し出した。
「はじめまして。私はベンナム・ナ。ベクナムでいい。よろしく、ゼフィリス」
「ゼフィリス・・・はい、よろしくお願いします、ベクナム様」
ゼフィリス・・・私は、ゼフィリス・・・
初めて会った人にいきなり付けられた名前だが、不思議と違和感はなかった。むしろ、今までどこか希薄だった自分という認識に一本芯が入った
様な感覚。これが、名前を持つという事なのだろうか・・・
それに、これだけ自分の事を思ってくれているフタバの知り合いなら絶対に優しい人だろうと思った。いや、フタバを介さなくとも紳士然としたこの
青年と握手を交わしただけで、彼女は妙に穏やかな気持ちになっていた。
それはあくまで擬似的な対人インターフェイスを通しての握手でしかないが――それでも握手は握手だ。
ベクナムの手は、温かかった。
『兵器ではなく戦友になって欲しい』
それは、こういう事なのか?
そんな気がして。
フタバの言った事の意味が少しだけ分ったような気がして。
「・・・私はゼフィリス。アーフィ・ゼフィリス。フタバ様、ベクナム様、よろしくお願いします」
ゼフィリスは、生まれて初めての微笑みを浮かべたのだった。
Fin
あとがき(というか補足トリビア)
今回のSSはゼフィリスがベクナムを主とするよりも更に前の話です。<狂竜事件>が起こるよりも前。故にゼフィのシリアルナンバーは26ではなく200に
なっています。
これを読んで下さった方なら御存知かも知れませんが、元々200体作られた初期のアーフィは人工知能が暴走した<狂竜事件>によって174体が破壊
されてしまったのです。
残った26体のうち最後がゼフィというワケですね。
んでその事件で暴走を免れた26体はいずれも「人間的な」思考形成システムを確立していた事がわかり、ブラウニン機関は「人間化」を進める
ために「シリアルナンバーとは別の個体名」、「対人インターフェイス」、「パイロットたる<竜騎士>の設定」といった機能を導入しました。
えーつまり、<狂竜事件>より前の時点では個体名も対人インターフェイスもない事になる訳で(爆)
そこを私が妄想を働かせて、
「フタバなら<狂竜事件>以前から『人間化』の先駆けをやってたんじゃないか?」
「うん、26体が暴走しなかったのがフタバのお陰なら、その位やってたかも」
と無理矢理考え出したのが今回の話というワケです。
ではでは、拙作を最後までお読み頂きありがとうございました。
霧宮仙華さんから頂きました。多謝!