夢現ループ

 

ブゥゥゥゥンンンン………
絶えず身体を揺さぶる振動と音に急かされて重い瞼を持ち上げる。

目を開けるとそこはタクシーの中だった。

すると俺を起こしたのは走行中の車体の揺れとエンジン音か。高速を走っているらしく、ズン、ズンとタイヤが道路の継ぎ目を乗り越える感覚が一定間隔で伝わってくる。
サイドウィンドウに目をやれば広がるは一面の摩天楼。西日を浴びて朱に染まった、バベルの塔もかくやというビルの群れ。しかし本来壮観である筈のそれはどこか儚く、小指一つで倒れてしまうハリボテの様に見えた。
そう。まるで、夢の様に。
…そうか。夢だな、こりゃ。窓越しの風景は見た事も無い異郷の様だし、高速を走る車が他に一台も見当たらないのが何よりの証拠だ。延々と広がる摩天楼を見るに、戦時中でもない限りそんな事は起こり得ない。そもそも目覚める前、タクシーに乗ったという記憶は無い。いや、それ以前に目覚める前の記憶が無い。どこで眠りについたのか。自宅のベッドか、旅行先の宿の布団か。寝る前は何をしていたのか。そういう一切合財を無視して超然とそこに在るのが夢の情景だ。まあ、夢と自覚しながら見る夢というのも珍しいパターンではあるのだろうけど。少なくとも俺は今まで一度しかお目にかかった事が無い。因みにその時は両性具有と化した初恋の女の子が挿れさせろと迫ってきたところで、「大声で叫べば自分の声で夢から覚めるだろう、夢なんだし」と判断、目論見通り事無きを得た。
では、今回は?
決まっている。まだ危険な目にも遭っていない上、始まったばかりでリタイアというのも面白みが無い。少しばかり付き合ってみようじゃあないか。
そうして運ちゃんに話し掛けようとして、
「運転手さ…て、あれ?」

初めて助手席に座る人物に気付いた。
どうやら俺が乗るよりも前に先客が居たらしい。運ちゃんと同じ濃緑の制服を着ている事からすれば或いは同業者なのかも知れないが。
「あぁ、こいつはうちの助手です。気にしないで下せェ」
「はぁ」
バックミラーを通して俺の怪訝な表情に気付いたのか、何故か山賊口調の運ちゃんは取り成す様に言った。
だが気にするなと言われれば余計に気になるのが人間である。就職面接で緊張するなと言われて尚更緊張するのと同じだ。
運ちゃんに助手と紹介された人物は中学生位の女の子で、セミロングの髪をさらりと後ろに流していた。何でこんな子が助手を?というかタクシー運転手の助手って何だ?
「彼女は優秀ですぜ。殊に甘栗の皮剥きに関しちゃ右に出るモンは居ねえ」
そんな俺の疑問に答えるかの様に運ちゃんは得意げに解説を始める。
「甘栗?」
「お客さんもどうぞ」
拡大の一途を辿る俺の疑問などお構い無し。
助手と呼ばれた女の子は俺を振り返って手を伸ばし、甘栗(皮剥き済み)を一つ差し出してきた。もう一方の手には天津甘栗の紙袋が。
「…どうも」
もぐもぐ。
うまい。
うまいが、何か間違っている気がするのは俺だけだろうか。…俺だけだろうな、多分。
「旨いでしょう。こいつの皮剥きは本当に神がかってますからね。多過ぎず少なすぎず、微妙な皮の残し加減といい、実の形を崩さない絶妙な剥き方といい、どれを取っても天下一品でさぁ。ここまでいい仕事されちゃあ、こっちとしても運転手冥利に尽きるってもんですよ」
あたかも我が事の如くに自慢する運ちゃん。
隣では女の子が「あんまり褒め過ぎないで下さいよ、照れるじゃないですかぁ」と恥ずかしげに俯いている。
もしかして間違っているのは俺の方なのだろうか。半ば自暴自棄にコペルニクス的転換に至った俺は、思い切って訊いてみる事にした。

「あの…もしかして、甘栗の皮を剥くのがタクシー運転手の助手の仕事なんですか?」

訊かなきゃ良かった。訊いた瞬間そう思った。

「……は?」
余程驚いた様で、二人とも目を丸くして絶句していた。
「車を運転するのが運転手の仕事なんですか?」と訊かれたかの如きリアクションである。高校デビューに失敗した新入生か俺は。この分だと「『甘栗むいちゃいました』買えばいいんじゃないですか?」と突っ込んでいたらどうなっていたか。
「すいません、何でもないです。忘れて下さい」
慌てて修復を試みるが、もう遅い。忘れろと言っても一度相手に伝わった言葉は消えたり無くなったりしない。21世紀から来たネコ型ロボットでも居なければ無理だ。そこら辺にワスレンボーとか落ちてないかな。夢だろ、頼むよ。
だが窓の外で流れていく道路を眺めてもワスレンボーは一向に現れず――現れたとしても取りようがないが――時間だけが過ぎていった。その間、タクシーの車内ではひたすら沈黙が続いた。運転手と助手は俺の失言以来口を閉ざしたまま。気まずい空気の下、タクシーは無人の高速をひた走る。今となっては耳障りなエンジンの音が冷めた車内を揺らしながら。こりゃまたヘビーな夢だな。

救世主が現れたのは、そろそろ夢から覚めようと思い始めた矢先だった。
キキーッ。
悲鳴とも取れる、いや実際タイヤの摩擦音なのだから悲鳴と表して差し支えないだろうが、とにかく音を立てて高速の路肩に停車するタクシー。
そこに…一人の貴婦人が佇んでいた。
貴婦人。第一印象はその一語に尽きる。フリル付きのワンピース、ないしはドレスに花付き帽子に日傘。白で統一されたそれらは18世紀の英国あたりにゴロゴロ居そうなご婦人方に酷似した印象を彼女に与えていた。事実、年齢は婦人と呼んで違和感が無い位の妙齢だろう。
でもって。
「隣、よろしいかしら?」
タクシーが停車したという事は客が乗るという事で。どこの国に見ず知らずの客同士を相席させるタクシーがあるのか知らないが、ここではそれが常態らしい。異文化を学ぶのにも色々と苦労する。
「どーぞお構いなく」
「それでは、失礼」
相席の上に隣席とは今時珍しいご婦人だ。電車等で席にスペースがあれば他人同士必ず離れて座るのが現代人なのに。案外この人、本当に18世紀のイギリス人なのかも。果たして次に婦人の口から出た言葉は、そう確信するに足るものだった。
「ねえあなた。葡萄を食べた事があって?」
…。無いんだこの人。そりゃあ18世紀イギリス人だもんな。何食べてなくたって不思議じゃない。一瞬の逡巡の後俺は首を振った。
「いえ」
「そう。いつか食べてみたいものね。食した者の頬肉を剥離させるという伝説の果実…この先にある筈なのだけれど」
頬肉を剥離て…その硬質な表現はあれですか、比喩でなく現実にほっぺたの肉が顔から剥がれて落ちるって事ですか。今までの流れなら在り得る話だ。怖え。恐るべし葡萄。
「この先?」
「ええ。わたくし、葡萄を探して旅をしておりますの」
あそっすかども。それは大層大変でございますです事よね。
種々の感情の交錯により頬の肉が剥離しそうになるのを意思力で抑えつけ、俺はやっとの事で顎を沈めた。平常心。「葡萄は酸っぱいから嫌いです」なんて言おうものなら先の運ちゃんと助手の二の舞になるのは目に見えている。
ええと、葡萄は畢竟この先にあるってか。ならそろそろ降りてくれると助かるんだが。もはや運ちゃんと助手のフォローは期待できないし。この英国婦人が乗ってからも二人は一語一句発していない。
だが俺の懸念をよそに、ご婦人が降りたのはそれからたっぷり半時間は経過してからだった。いつか葡萄を見つけた暁には御社に捧げますと言えば就職が内定し、エーゲ海で山賊に襲われた時も同様の事を言ったら見逃してくれた上に餞別としてありったけの盗品を贈与された、等等―その間葡萄旅の話を延々と聞かされ、半ば頬の感覚が麻痺し始めた頃に婦人は降りた。二度と乗んな。
ところが、悪夢はこれで終わらなかった。
キキーッ。再度停車するタクシー。二回目にして薄々分かってきたが、これって銀○鉄道だよな?
今度の客は、一見ごく普通の中年オヤジだった。飲み会の帰りなのかヨレヨレの背広をつっかけている。変わった事と言えば…無精髭が不自然に左半分しか生えていない事が異様と言えば異様だった。

前回が貴婦人で、今回はオヤジ。いい加減に頃合いか。所詮男なんてそんなもんさ。夢から覚めなければならない様な危険な目には未だ遭っていないが、このままでは面白くも何ともない。葡萄を求めて旅する貴婦人に、右半分の髭を探し続けるオヤジ(想像)。ハァ?それこそ夢が無い。ログアウトの時間だ。オヤジが乗る前にさっさと済まそう。
決意するが早いか、俺は肺に空気を溜め込んでスクリームの準備、
すうっ―
「――あああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
天も突き抜けよとばかりに絶叫した。
あまりの大音声に文字通り震えるタクシー内。音は一種の振動だから、大き過ぎる音=大きな振動は周囲にも物理的な影響を及ぼす。
そして。
エンジンとは違う振動の中で、俺は自分の意識が覚醒していくのを自覚し――


「兄さん。発生練習なら他所でやってくれませんかね」


自覚した、だけだった。
目に映るのは自室の天井の染みでも起こしに来た家族の顔でもなく、非難の眼光を向けてくる運転手と助手とオヤジのみである。これが電車なら「他のお客様のご迷惑になりますので」と注意されていた事だろう。
「すいません。明日、演劇の舞台があるもので、つい」
「あぁ、ほんとに劇団員だったんですか。こいつぁ失礼」
運転手の揶揄で思いついた見え見えの嘘で誤魔化したら逆に謝られてしまった。何だこの運転手。タクシーの中でいきなり絶叫した俺と大差無いぞ。
この無理が通れば道理引っ込むような所ははやはり夢ならではの展開だ。ならば、何故…
「いえ、こちらこそいきなりすいませんでした」
「いいんですよ。それより舞台、頑張って下さいね。練習とか、大変なんですか?」
先程までの沈黙は何処へやら、急に目を輝かせて訊ねてくる助手。それに「ええ、まぁ」などと適当に応じながら、俺は自分に疑問符を投げる。
何故、目覚めない?
大声で叫んでも目が覚めないなんて随分理不尽な夢だな。俺はそんなに深い眠りに落ちているんだろうか。しかし夢は眠りの浅い時に見るものの筈だが。

「馬鹿言っちゃいけねぇ。『一切合財を無視して超然とそこに在るのが夢の情景だ』…そう言ったのは兄さんじゃねえですか」

…!?
改めてオヤジを乗せて発進するタクシー。その車内で、愕然と運転席を見つめる俺をバックミラー越しに見返し、運転手は指摘する。確かに俺は最初にこの夢の世界を目の当たりにした時そうした感想を抱いた。だが、もし本当にそうだとしたら――夢の中の森羅万象にそれが言えるのだとしたら、夢の中で出した自分の声で目覚めるなど戯言だ。なんて矛盾。それはもう夢であって夢でない。「一切合切を無視して超然とそこに在」ってこその夢なのだから。運転手の言動が俺の心を見透かした様なのもそういう仕様だ。
だとしたら…?
堪え切れなくなった俺は当然の疑問を口にした。もっと早くから口にしていて然るべきだった、至極当然の疑問だった。もしかしたら、口にするのが怖かっただけなのかも知れない。口にしてしまったら決してやり直せない何かが確定してしまう様な気がして。すなわち――

「運転手さん。このタクシーは、一体どこに向かってるんですか?」

運転手は答えない。
助手も答えない。
無論オヤジも答えない。
代わりに答えたのは、窓の外の光景だった。
いつからか入っていた長いトンネル。
トンネルを抜けると、そこは俺の故郷だった。

それを待って、三人は声を揃えて言った。

「どこって…兄さんの、夢の中ですよ」

 

 

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